本読んで映像観てたら長風呂してた

苦にならない程度に読んだり観たものたちをメモしたい

ファイアボールに救われたオタクの人生

ファイアボールはウォルトディズニージャパンによる初めてのオリジナルアニメーション作品である。

2008年に始まったそのシーズン1は、1分で完結する笑いと混沌にあふれ、あらゆるジャンルのオタクに波紋を広げた。シーズン2の『ファイアボール チャーミング』、シーズン3『ファイアボール ユーモラス』、ドラマCDの『ファイアボール オーディオオモシロニクス』を経て、2020年12月、シーズン4である『ゲボイデ=ボイデ』でシリーズ完結を迎えた。

 

完結して初めて、ファイアボールの奥深さを知り、人生を救われた人間の感想文です。

ゲボイデ=ボイデが主軸になっています。

 

ーー次元の壁

 

ファイアボール公式はこれまで再三、『意味のない伏線』などの言葉を用いて考察を揶揄するような発言をファンに投げていた。

オモシロニクスを聴いた時点で、私はこれを『二次元に飛べない我々が二次元の人物が何を考え行動しているかを考察ところでファンは干渉できないし意味が薄い』と言っている風にとらえていた。

 

作中でジョン.・スミス(ありふれた人間たち)が地球から出られず、機械だけが宇宙で生きていけたように。人間と機械の間では長い戦争が続いていてお互い理解しあえなかったように。人間(三次元)と機械(二次元)に大きな隔たりがあるように描いていると感じたからだ。

二次元は二次元として生きていて、そこで起こった出来事が画面という媒体を通じて三次元に伝わっているだけで、お互いに干渉はできない。

 

私たちは二次元に考えさせられ、感銘を受け、行動することで三次元をなんとかいきていく。それを表現したのがファイアボールの最終話、城の壁が破られて外に出ていくドロッセルとゲデヒトニスの姿だと思った。そしてオモシロニクスで少し言及があったように、向こうから三次元に歩み寄ろうとしてくれる。二次元に干渉はできずとも、寄り添ってくれる。

 

これがファイアボールのコアだと思った。思っていた。

 

ーーゲボイデ=ボイデは誰なのか。

 

 

わたしたちはこの物語の結末を知っている。ゲボイデ=ボイデとアリアドネは外伝となり、ゲデヒトニスとドロッセルが正史を構築していくようになり、最後には壁を壊し外の世界にでていくのだ。

引きこもりのアリアドネを外に誘い続けたゲボイデが実は一番の引きこもりであったことが判明した最終話。ここですべてが覆った。

 

ゲボイデ=ボイデは、私だ。

 

ーーファイアボール外伝の世界の三次元

 

ゲボイデ=ボイデは怖がっていた。現実を生きることを。アリアドネのいる空想に依存してはいたが、すべていつか終わって現実が来るのだと諦めていた。

これは二次元に救われながらなんとか生きているオタクの、私の姿ときれいに重なった。

いつか空想することをやめなければならないことも、空想しても何も変わらない現実をわかっていたのも。二次元に干渉できない人間は三次元で生きるしかないのだとあきらめていたのも。すべて、私だった。

 

「間違っているわ、酢昆布ダンプ」

 

ゲボイデ=ボイデは空想と生きる道を選んだ。そして、オモシロニクスで自分が不確定要素であること、外伝であることを思い出す。

ゲボイデ=ボイデは現実の存在、空想にとっては不安定要素の存在であったとしても、外伝としてファイアボールの世界に存在し続けられた。

 

現実はまた、空想の一つとして。外伝として存在できるのだ。干渉できないと思っていた二次元にもはや私は足を踏み入れていた。

私の住む世界も、ファイアボール世界の外伝なのだ。

 

 

 

ーー外伝世界

 

長い間、人生は苦行という言葉を信じていた。

伏線などなくて、見えない出来事がランダムに私の体を襲ってくる。その突然性に耐えられず血を流し続けていた。ここがファンタジーなら、二次元なら。そう思って毎日娯楽を摂取して心を落ち着かせていた。

 

人生は苦行ではなく、二次元の外伝なのだとしたら。

 

すべてはファイアボール外伝とおもって行動するようになってから、ファイアボールの世界と同じくらいうまく隠された伏線も、あけっぴろげな伏線も、意味のないユーモラスも、混沌も、よく見えるようになった。

今起こっていることは空想と人生で経験したものすべての伏線回収だった。目の前は明るくなった。

 

少しカルトチックになってしまったが、少なくとも私の人生観が大きく変わったことが伝わっていてほしい。

ファイアボール制作チームは惜しくも解散してしまったらしいが、新たな空想の源やユーモラスを何かしらの形でまた届けてくれることを信じて。

ファイアボールの世界を感じながら人生を歩ませてもらえていることに感謝します。